鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

言葉足らずがマイナスになることも

昨日、娘の仕事がお休みだったのと、主人も午前中は休みだったので近くの美術館にいこうと娘が誘ってくれました。ところが、何と見に行く予定の絵画展が前日で終わっていたのです。

 

 

そこで、娘は美術館に行かなくても3人でランチしてカフェ行って. .と考えていてくれたようです。

一人では外出できない私を思って。

 

 

ところが、私は逆にせっかく休みだし、目的の絵画展がないのなら、最近は精神的にダメージを受けている娘を思い、家でゆっくりしたら良いと思い、日を改めてと言う意味を込めて「行かない」旨伝えました。

 

 

それが娘にとってはショックだったようで「久しぶりに出かけることを楽しみにしていたし、断るにしても他に言い方なかったのかと思ったら悲しくなった」とメールが来ました。

絵画展はなくても親子で過ごすことを楽しみにしていた娘です。

 

 

翌日の朝、娘から「ごめんね。」と電話がありました。

 

謝るのは私の方でした。

私が娘に対して良かれと思ったことが、言葉が足りなかったせいで 悲しい思いをさせてしまいました。

 

もう少し奥深く娘の気持ちを汲んで答えるべきでした。

 

 

私は身内以外の人との関わりはまずないですが、自分の心の中に人を思いやる気持ちがなければ、逆に人を傷つけてしまう。言葉数が少なければ揉め事もないと思いがちですが、時に人を傷つけてしまう事もあるのだと今回のことで今さらながら一つ学びました。

 

 

家事を済ませた娘がうちに来てくれると言うので3人でランチに行こうと言うことになり、選んだのはカフェではなく昭和レトロな純喫茶です。

店内には1970,1980年代の洋楽が流れてメニューも豊富で主人と私のお気に入りです。

 

娘はピラフ私たち夫婦はエビフライ定食、

食後にはドリンクとミニかき氷がセットでついてきますのでお得感たっぷりです。


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若い娘には不似合いな感じですが喜んでくれました。

 

その後主人は仕事に出かけましたが、娘は夕方までゆっくりして、その上「夕御飯にどうぞ。」と、最近腕を上げつつある料理を作ってくれました。

 

ここで暮らしていた時の娘からは想像もできないほどの成長です。

 

娘に「ごめんね。」そして「ありがとう。」

 

親子間であっても、他人様ならさらに言葉で表す感謝は大切だなと実感した1日でした。 

 


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自分一人で生きてるんじゃない

主人は大学の講師以外に人権の仕事もしています。


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主な仕事は、全国あらゆるところから来る企業の管理職や教育関係の方々を資料を素に説明して回るものです。

 

学芸員の方もいらっしゃいますし、他数名の方がいますので交代制で案内に回ると言ったものですが、どうしても元校長と言う立場から、肩書きをお持ちの方や団体は主人が任されることが多いです。

 

その中で今月、母の大学病院受診日と案内が重なってしまいました。

 

情けないことに私一人で母を病院へ連れていくことはとてもできません。

 

そのことで落ち込み主人に申し訳ないと思っていると涙があふれてきて止まりません。

自分一人で何もできないことを思い知るとき自分を責め情けなくなります。 

 

 

ところが主人は「これは段取りのものであって僕が段取りをちゃんとつければ何の問題もない。」と言うことで本来休みのはずだった元小学校前教諭にお願いすることとなりました。その方は地元のことにも詳しく自信をもってお願いすることができると主人は言います。

 

しかも、母を病院へ連れていくと聞き、気遣いながら快く引き受けて下さったようです。

感謝です。

 

日頃、主人も交代を頼まれたとき必ず快く引き受ける、そのこともあってのことでしょう。

 

助け助けられ。

 

 

母には、そこまでのやりくりをしてることは伝わりはしませんが「ありがとう。ありがとう。」と言います。

最近の母は自分の存在が他の人に迷惑をかけているのだと思い込むので、大切な存在なんだよと言うことを繰り返し伝えます。

 

「そうかな。」と首を傾げますが、最後は「ありがとう。」と笑顔になります。

 

人は

自分一人で生きているのではなく、回り回って誰かのお世話になっているのだなと痛感します。

 

 

 


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持っていき場がない時に叫びます

今日は心療内科受診日でした。

 

最近、朝起きて主人の朝食を作ることができる日が増えました。

 

ところが、そのあと眠くて眠くてたまらない時があるのです。

 

その時は眠るようにしているのですが、眠いのに眠れなくてイライラするときがあります。

 

その時は寝ずにソファでだれーっとしていますが体のもって行き場がなくて「うわーっ!」と叫びます。駄々っ子のようにです。

 

それを聞いている人がいたら驚くだろうな。

と思いながら止めることができません。

 

先生は「まぁ誰が叫んでいるのかわからないのだから叫んで下さい。(笑)」と。

 

イライラが激しい時にと頓服を出してくれました。


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レキソタン

 

今は薬に頼って、また落ち着いたら相談します。

 

鶏が美味しいお店でランチをして、


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ペコちゃんのほっぺのミルキークリームを買って

髪をカットしてから実家に寄り、母がデイサービスから帰って来るのを待ちました。

 

次男は朝からバイトなのでいなかったのですが前夫と長男がいたので、ペコちゃんほっぺを皆で一緒に食べました。

(前夫は私たち夫婦がいる前では母を無視したりしません。その差に怒りがあるのですが. . ) 

 

 

心のデトックスができたし、母の笑顔も見れたし良かった良かった。

 

あとはお持ち帰りの手羽先唐揚げを食べながら、ゆったりした時間を過ごしたいと思います。

 

今日も主人にありがとう。です。

 


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おかしいなと思ったらすぐに受診します。

数日前から右耳が詰まった感じがするので耳鼻咽喉科へ行って来ました。

以前にも低音が聞き取れない難聴に二度なったことがあります。

 

母も耳茸ができて受診中ですし、主人も右耳が突発性難聴で聞こえなくなってしまいましたし私も耳に違和感です。

 

何か因縁めいたものを感じてしまいます。

 

 

加齢と共に悪いところが出てくるのでしょうか。弱気になってしまいます。

 

 

受診結果は鼓膜にもどこにも異常はないとのことです。

ただ左耳が低音を拾えていないらしいので投薬治療で様子見ることになりました。

 

低音難聴と言うものでしょうか。 

右耳だと思ったのは私の感覚がおかしかったのです。 

 

どんどんお薬の量が増えていって、これだけでお腹いっぱいになってしまいます。

 

 

これに加えて


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☆カルナクリン錠

メチコバール

アデホスコーワ顆粒

 

鬱と糖尿の薬名は覚えていますが新たに増えたものはなかなか覚えられません。

 

ひとつでも早く減薬できたらいいなぁと思います。

 

 

 


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それで圧力かけてるつもり???

モヤモヤしたので書きます。

 

前夫と離婚はしたのですが、私の母と息子たちが同居しているので何か事情があった場合にはメールのやり取りはしています。

 

もちろん、主人にも全て見せますし、時には主人から前夫に電話をしてもらうこともあります。

 

以前、私の鬱状態がひどくなったときに返信できずにいると「主人のメアドを教えてくれたら、そちらにメールします。」と言ってきたので教えました。

これも私への圧力だったのでしょうか。

主人にメールをしてきたことは一度もありません。

 

いまだに私宛てです。 

 

その後、母の事で一触即発状態になったこともありますが現在ではどうにか落ち着いています。

 

 

その中にはどうでもいいメールも来ます。

 

庭の桜が咲きましたと写真が送られてきたり、次男がお弁当箱を洗わないとか、彼女とディズニーランドへ行くのに駅まで送ったとか. . 。

 

確かに離婚協議書には子供に何かあった場合は話し合いをするとは書きましたが、世間話のような内容は不要です。

 

何が言いたいのかわからないことが多いです。

 

そして前夫は長男の愚痴を私と次男に、次男の愚痴を私と長男に言います。

嫌われたくないのか決して本人には言いません。

 

母の悪口も息子たちに聞かせ続けてきたので母が認知症だとわかるまでは息子たちも母に対しては良い感情を持っていませんでした。

 

 

メールについては主人も娘、長男も「スルーすればいい。」と言いますが、まだトラウマから抜け出せない私は敏感に反応して、何か返信しなければいけないと思ってしまいます。

 

 

 

 

関わりはあるとしてもすでに他人ですし怖がることもないのですが、当たり障りのない返事をします。

 

その中で前夫のメールの中に変化がつけられていることに気づきました。

 

子供のことや自分のことについてのメールには文章の合間にでもこれでもかと言うほど絵文字、顔文字つけてきますが、母のことになると句読点も何もありません。 

 

 

 

“私のあなたのお母さんへの思いはメールを見ての通りですよ。“このことについては私は気に入りません。”と言わんばかりに

その差はハッキリ見てとれます。

 

最初は怒りがありました。

 

でも最近は“またいつものこと”と逆にその幼稚さに笑いが出ます。

 

そんなことでしか表すことができない小ささにあきれます。

 

 

私とのやり取りで母に対する鬱憤を晴らすのなら好きにしてくれればいいですが、直接母に向くようなら話し合いをして解決しなければなりません。

 

 

 

前夫はうちに長男が泊まりに来ることにも不満を持っています。

 

そのことについても「本人には言わないで下さい。ふてくされますから。正直言うとそちらに泊まりに行くことで自分がしんどいです。何なら婆様(母)の面倒を月に一度でいいから24時間見に来て下さい。」とメールが来ました。

 

 

一緒には暮らしてませんが、関わっているのは私たち夫婦と娘、息子たちです。

 

前夫は母が病気であろうが転んでいようが知らん顔です。

 

面倒を見てやってると思ってるなら勘違いも甚だしいです。

 

嫌なら出ていってくれればいいのです。

 

同レベルになるのは嫌なので気持ちを強く持ちたいと思います。

 

ブログで吐き出せてスッとしました。

 

 

 

 
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ほうれんそう

最近、ぼやくことが多くなっているなと自分でも思うのですが、またひとつボヤキを書いてしまいます。

 

母は現在、歯科医院にも通院しています。

 

つい先日朝一番の予約だった為、母は早起きが苦手ながらも頑張って早起きして準備してヘルパーさんを待っていました。

いざ歯科医院に行くと「予約時間は12時ですよ。」と言われたそうです。

 

ところが当日は耳鼻咽喉科の予約も12時となっていたので歯科医院の方は諦めて耳鼻咽喉科だけを受診したのだそうです。

 

 

母には申し訳ないのですが、一方的に母だけの話を聞くわけにはいきませんからケアマネさんに電話をして聞いてみると

ヘルパーさんの勘違いによる間違いでした。

 

次回の歯科受診日も連絡がないまま、こちらからケアマネさんに問い合わせたら“明日です”とのことだったので、母に伝えて再度当日にも「今日が歯医者さん行く日だからね。」と電話を入れました。

 

母は前もって知らされたことを忘れてしまうので、大切な対応です。

 

それでも理解したあとはそのことだけが記憶に残り、そればかりを気にするので大変と言えば大変です。

 

母は当日、準備してヘルパーさんを待っていました。

ところが待てどもヘルパーさんは来ないので

こちらからケアマネさんに連絡すると「歯医者さんは明日になりました。」との返事です。

 

前にも「介護認定に関わる調査の日取りが決まり次第連絡します。」と言いながら連絡がこないので、こちらから聞いたら「○月○日です。」と、もう明日明後日に迫る日にちです。

 

確かにその施設で介護して頂いているのは母だけではありません。

ケアマネさん、ヘルパーさんは何人とも関わっておられるのでしょう。

 

私には想像すらできない大変さがあるのだと思います。

 

私たち夫婦は離れて暮らしているので、私たちが関われない部分を担って頂いている感謝はしていますが、お願いしている連絡は欲しいです。

 

いつも大切な連絡もこちらから電話をすると「今電話しようと思っていたところなんです。」とおっしゃいます。

 

 

「今、出先なので戻ったら連絡します。」と言ってかかってきたことはありません。

 

時にイライラして待ちます。

 

電話がないだろうと思って、最近では催促だと思われてもいいのでこちらから連絡するようにしています。



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ビジネス社会で広められていると言う

“ほうれんそう”

ほう=報告

れん=連絡

そう=相談

 

は、どんな場面においても大事な ものではないかと思います。

 

家族間でも“ほうれんそう”を大切に行いたいと思います。

 

 
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家族が認知症になったなら

私の母が診断により認知症だとわかったのは約一年前です。

 

それだとわかる前は、認知症と言う言葉は社会的にも注目されていましたが私には“自分の回り”で起きるとは微塵も考えておらず、母は気が狂ったのだと思うしかありませんでした。

 

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でも実際に母が罹患してしまったのだから、受け入れていくしかありません。

 

それからはネットで調べたり、専門医の話を読んだり聞いたりと私なりに理解しようとしました。

 

理論的にはわかっても、いざ本人に対応するとなると難しいものです。

 

最低限これだけはしないようにと心にとめて接するのがやっとです。

 

時に考えてもいなかった質問にあたふたすることもあります。

 

先日デイサービスから帰ってきたときに「他のメンバーは楽しいから笑ってるけど、その時の私は楽しくなかったから笑わなかった。笑わないとダメ?」と。

 

一瞬「えっ?」

 

結局「楽しくないのに無理に笑わなくていいよ。楽しいと思ったら自然に笑顔は出るものだからそれでいいよ。」と言いました。

 

 

母は「良かった。私だけが笑ってなかったから無理にでも笑わないとダメだと思ってしんどくなってん。」と言ってました。

 

 

受診の時には毎回医師に対応の仕方を聞いてしまいます。

自分が良くない対応をすることで母を苦痛にさせるのは嫌だからです。

 

 

 

ある医学博士の話によると、

認知症と診断されたあとの家族から「本人とはどのように接すればよいでしょうか」と言う質問を多く受けるそうです。

 

その医師は「普通の人と同じように接して下さい」と答えるそうです。

 

本人は家族から何もできないような扱いを受けるとプライドが傷つき落ち込んで症状が悪化しかねないからです。

 

☆失敗しても責めたり叱らない

☆よかれと思って諭したりするのもしないように。

 

これは、失敗したことを忘れて、注意された叱られた嫌なことだけが心に残るからなのだそうです。

 

認知症の人は記憶をなくすことに大きな傷を不安、悲しみを感じていることを理解して環境を整えることが大事だそうです。

 

 

母は昔から活動的で料理も何でもできる人でした。

 

ですから、認知症になってもせめてこれくらいはとキッチンに入ってこようとするのですが、パーキンソン病も発症していて手元足元も危なっかしいので、ついつい長男は「向こうで座っとき」と言ってしまうそうです。

 

こちらは危ないからさせない、本人はさせてもらえないと落ち込む. . 

 

負の循環です。

 

 

最初は悲しそうな顔をして「申し訳ない申し訳ない」と泣いていた母も、私が「長年一生懸命やってきたのだからそろそろ任せてもいいと思うよ。」と言うとホッとしたように「じゃあ、そうさせてもらおうかな。ありがとう。」と言います。

 

 

 

と言って、全てを取り上げてしまうと行動とコミュニケーションの範囲が狭くなって脳への刺激が減り、できないことが増えてしまいます。

 

家事などはまったくできなくなっているので、リハビリと言うことで今は5才児程度のドリルをするようにしています。

一枚一枚日付と名前を書くように促しています。

 

けっこう楽しそうにしています。

 

簡単な塗り絵もしています。

 

お手本と違った色のイメージだと困ったなぁと言う顔をするので一つ一つ褒めると

これでいいのかと納得します。

 

今まで気にならなかった小さなことまでもが気になり不安になるのでしょう。

 

 

常に優しい言葉で安心を与え、話を真剣に聞き、一人の人間として尊重し恥をかかせない、失敗を責めたり説得や指導をしない。

 

 

認知症は治らない病の一つだとは思いますが

教わったポイントを私たちがしっかりと頭に入れて応用しながら対応し、専門医の適切な治療とケアを受けていけば

今のように自宅で少しでも長く生活していけるのではないかと思います。

 


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熱中してたのにパッタリやめてしまった

5年前から3年間程マスキングテープ等を使ってコラージュにハマってました。

 

シール、レースペーパー、ボタン、チャーム、リボン等々、高価でなく集められるものをまず用意して朝から晩まで何かしらを作っていました。

 

人から見ればガラクタと思われるものも自分にとっては大切な思い出とスクラップブックにもしたり。

 

 

味気ないペーパーバッグを花のコサージュつけてみたり

ノートの表紙にレースペーパーを紅茶染めしてあしらったり、カレンダーもお気に入りスタンプで手作りしていました。

 

便箋封筒も手作りしていました。

 

お友達のお誕生日に送るバースデーカードも手作りです。


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 マスキングテープが好きすぎて自分の机の前に飾ってしまう程で、どれだけの数を集めたでしょうか。

 

 それが、今では収納ボックスの中に閉じこもったままです。

 

私が閉じ込めてしまったのです。

 

心療内科の先生も「どんどん楽しいこと見つけてやってくださいね。」と応援してくださっていたのに、ピタッとやめてしまいました。

 

あれほど夢中になってたのに. .。

 

今ではプレゼントを送るお友達もいません。 

 

では、主人や子どもたちにでも作れば?と思うのですが、以前は作っていました。

 

もう今はその気力がありません。

イデアも浮かびません。

 

時々引き出しを開けてはため息です。

と言って断捨離する勇気もありません。

 

きっと当時は嵐の真っ只中と言う生活環境だったので、何かをしていないと不安だったから没頭していたのかもしれません。

 

今は母のことや前夫のことは火だねとして残っているけれど、主人のそばで穏やかな日々を送れているのと、その時の反動がそうさせているのだと思うようにしています。

 

 

いつかまた、その日の為に、集めたマスキングテープや小物たちを大事にしまっておきます。

 


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精神年齢

私は○○診断とか○○チェックと言うのが好きで、無料だとついついやってしまいます。

 

 

最近では精神年齢チェックをいくつくかしました。 

 

一つは82才、これ以上精神年齢を上げると仙人になるかも?ぼけ防止に小学生用ドリルをやればいいかも?

 

二つ目は28才、新しい趣味を探してみれば?

 

三つ目は22才、もっと様々な経験を積むことが推奨される。

 

他、色でのチェックでは34才。でした。

 

 

精神年齢を調べてみると、知能年齢とも言う。ビネの考案による。各年齢段階に応じて困難度の異なる標準化された問題で、個人がどの程度の年齢段階の問題までを解くことができたかによって測定された知能の程度。とありました。

 

何だか難しいことが書かれていますがチェック項目は、そういったものではありませんでした。

 

結果もバラバラです。(笑)

 

 そうしていると“あなたは年齢にふさわしい行いをしていますか?”チェックを見つけました。

 

もちろんやってみました。実年齢53才ですが

結果は44才。

 

でも、“ふさわしい”って何でしょうか?

 

それがこれに釣り合って適している状態。

 

こんな簡単なチェックだけで自分がわかるはずもありません。

 

 

私にはPTAで知り合った8才年下の女性のお友達がいました。すごく私を慕ってくれていてとても仲良くなれました。

 

当時彼女は私以上に引きこもりで他にお友達もなく、僻みの言葉をけっこう出していました。

 

そんなこと私には何てことなかったはずなのに、毎日送られてくる自虐的なメールに耐えられず、現在はご縁が切れてしまいました。

 

8才年上であっても私には彼女を受け入れる器がなかったのだと思います。 

 

年上だから、年下だからと言うのは関係ないと思いました。

もちろん経験値の違いで結果違うこともあるでしょうけど。

 

そんなこともあって時に突き詰めたくなりますが、自分で自分の精神年齢やふさわしい年齢なのかどうかなどを知ろうとすることは、やはり占い感覚の遊び程度にしておきます。

 

でないと悩んでしまいます。 

 


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文通

私が中学生の頃だから約40年前でしょうか。

 

当時私は部活でバレーボールをしていて、テレビでも男子女子問わず試合を見ていました。

 

全日本で好きな選手もいましたので。

(その時には想像すらできませんでしたが、(私は中学生でしたので(笑))

先でその選手のお嬢さんと私の娘がお友達になると言うご縁を頂きました。知ったときには若い頃を思い出し興奮しました!) 

 

 

毎月発刊される“バレーボールマガジン”や“月間バレーボール”も読んでいました。

 

そこには「文通募集」のコーナーもあって、自分の住所と氏名と簡単なメッセージを載せて文通相手を募るのです。

 

私も出したことがあって、紙面に私の名前を見つけたときには大変嬉しかったのを記憶しています。

 

たくさんのバレーボールファンの方から手紙を頂きました。

 

全ての方とやり取りするわけにはいきませんから、年齢が近く、同じチームを応援する2~3人の方と始めたと思います。

 

私の実家と有名チームの本拠地が近いことから、羨ましがられたこともあります。

 

手紙を書くとき、手紙が届くのを待つときのワクワク感は忘れられません。

 
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しかし、当時の私の周りの環境が私にとってはかなりのダメージで文通を続けることもできなくなりました。

 

 過去記事↓↓↓

 

 

心に余裕がなくなってしまいました。

 

今では個人情報やプライバシーの問題から文通も難しくなってきているのでしょうね。

 

ただ、会費を払えば個人情報も出さず、ニックネームで文通ができるというシステムもあるようです。

 

 

引きこもりになってから、人との関わりが面倒で、そこまではしたくないなと思っていましたが、こうしてブログと言う形で自分のいろいろなことを書けることで、文通とはまた違った楽しみが増えました。

 

 

大げさですが、失われつつある文化も便利なシステムで継続できたり新しい形での関わり方も増えたり便利な中で、各々責任を持って楽しめたらいいなと思っています。

  

 


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