鬱な私の日日日記

鬱病。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。認知症の母のことを含めて複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

2017.5.3 Wed. 過去6 DV

母の再婚相手Hは愚痴ばかりを言う男だった。歯科技工士としての自分の腕に相当な自信を持っていたようで、勤務する歯科医院の給料が少ない、自分を甘く見てるとか、毎日酒を飲んでは自分の素晴らしさを母に語っていた。私は心の中で自惚れやのバカ男だと蔑んで見ていた。母はHの機嫌を損ねないよう持ち上げてほめたたえていた。それらに嫌悪を持っていた。時に発散できないでいると「自分は初婚であったのに子持ちのお前なんかと再婚したせいで俺の実力も下がってしまう」と言っては殴る蹴る。何度飛び出して祖父母のところへかけこもうと思ったか。

それもしてはいけないと自分に言い聞かせ飛び出しても行くところはなく夜中の田舎街を自転車で走るだけ。こんなこと一度や二度ではない。家に帰るとお決まりは母が泣いて謝っている姿。それに満足するのか優しい言葉をかけるH。鳥肌が立つ。結局、母の頼みによって祖父母の敷地内に技工所を建て、独立したH。当然、軌道に乗るまでは大変だっただろう。すぐに人手がみつかるわけもなく、結局母も歯科医院をやめてラボを手伝うようになった。納期に間に合わせるため何日も徹夜が続いて二人とも帰って来ない日が多かった。私はHと関わる時間が少なくなってどれほど嬉しかったことか。しかし、元来の性分なんだろう。Hは「仕事がうまく進まないのもお前のせい」と言ってはそこにあるものを投げつけ暴れた。ついに耐え兼ねてその夜中、寝ている祖父母を起こして実情を訴えた。仲裁に入った祖父母に感謝するどころか、しまいには私が「お父さん」と呼ばないのが気にくわないとまで言い出した。母にどうするのかと問うたところ「本当は優しい人。うまくいかないのは私のせい。離婚はしたくない。どうかこの子を預かって。」と懇願した。私は心の中で“おじいちゃん、おばあちゃん、どうか私を引き取って!”と祈った。祈りは通じた。その日からまた私は祖父母の元で暮らすことになった。