鬱な私の日日日記

鬱病。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。認知症の母のことを含めて前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

口にしたことがなかった母への不満をぶつけたら

母から突然、「預けた土地の権利書返して!」

 

 

えっ?主人を信じて預けたんじゃなかった?

 

すごく気分悪くなった。

その権利書を私たちがどうこうするわけないし、またできない。

 

 この時はまだ気分悪い!程度で許せた。

 

母に対して色々な思いはあるけど、何かの時には放ってはおけないとの思いも母には通じてないのか?

見返り求めることなど考えたこともないのに。

 

 

 それに、前夫との別居、離婚のことも「好きにしたら?私には関係ない。」と言い続けた母が「何でこんな別れ方した!」「皆、目的叶ったら自分の事しか考えてない!」等々訳のわからないことを今さら言ってきた。

 

同居しているとき、母と前夫が結託して私を追い込んだこと忘れたのか?

 

協議書の内容も母に見せて母の要望も何度も聞いて書き入れたではないか!

変な形態で暮らして行くことになる母を思って最大限の配慮をして作ったのではなかったのか?

 

 

絶縁したっていいんだぞ!と思った。

 

主人が、「そんなことしたら○○(私)が余計に苦しいよ。何と言ってもお母ちゃんなんだから。」っていつもいってくれる。

 

主人は不快な顔は一切しないし、心にもないみたい。

 

「おばあちゃんの言うとおりにしたらいい」って言う。

 

 

権利書は返すことにした。

その時、私の今までの思いを手紙に書いて渡した。

 

それは心療内科の先生からのアドバイスでもあった。

先生には小さいときからの私のこと、母との関係性、前夫とのやり取り、現在の状況全てを話している。

 

 

心の中のものを貯めておくんじゃなくて、しんどくなったら紙に書いたらいい、渡さなくても吐露することで少しは楽になるから。と。

 

私は母にぜひ読んでもらいたい気持ちで書いた。

全部で7枚。

 

 

離婚に至った一因は、まず私がPTAをきっかけに羽目を外しすぎたことを謝った。

 

 

しかし、改めていくと言って努力したにも関わらず、ありもしない疑いを持った色眼鏡で私を見て前夫と結託して私の行動を制限したり、監視したり追い詰められ、精神的に追い込まれて家に居場所がなくなったこと、

他に

 

・幼い頃、父や私を置いて突然家出したことで、とてもつらい思いをしたこと

 

・母の再婚相手HがDV男でつらい思いをしたこと

 

・次から次へと男性との付き合いをしてきたこと

 

・母は被害者意識しか持っていないこと

 

・自分の言うことを聞いてくれる人は良い人で、反対意見を言う人は悪い人と決めつけてきたこと

 

・子供たちにまで私の悪口を言ったこと

 

・離婚をして生活環境が変わってはしまったけど、母にとっては娘だし、子供にとっては私は母であること

 

・多少の喧嘩はしても、やはり母が心配なのだと言うこと

 

等々。

 

 

この手紙に対しての返事は

一言、「そんな過去のことを。あんた年はいくつになったん?」

ひどいな。

もう関わりたくない。親はいないものとして過ごしたい。 

 

 

しかし、母が心臓のカテーテルをすることになり病院へかけつけた。

 

また母がお金を払ったのかTが来ていて、術後の母の面倒を1日みていたようだ。

私たちの顔を見るなり挨拶もせず帰っていった。

 

 

母はこれから心臓の薬を服用していくことになった。