鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

診断名はレビー小体型認知症

病院に行く日がやっときた。

 

それまでも大変だった。

診察を受ける前の段階で正常ではない病気なのだと認識して対応できたのは長男だけだった。

 

前夫は母に対して揚げ足取ることばかりだし、次男は協力はするけど基本的に兄がするものとして、横に置いてる感じだ。

 

病院には長男もついていってくれた。

 

病名はレビー小体型認知症パーキンソン病だった。

症状として一番に現れるのは幻視。

 

攻撃的にもなる。

 

パーキンソン症状では、よく転倒する。

体がこわばる。

 

 厄介なことは、レビー小体型認知症パーキンソン病の薬は相反するもので、レビーを良くしようと思えばパーキンソン病が悪化、パーキンソン病を良くしようと思えばレビー小体型認知症が悪化。

 

薬のバランスが難しいそうだ。

 

入院施設の見学をさせてもらったが、

長男が、まだまだ家で見れる!と断った。

 

 

皆で協力してやっていこう。

前夫への期待は薄いけど。

 

 

投薬がはじまり、少し幻視、幻聴はなくなった。

ただ、お坊さんが来たり、泥棒が来て怖かったことなどはうっすら覚えていた。

 

認知症の人にしてはならないこと。

 

それは否定すること。

気をつけよう。

 

それから毎日、朝晩電話するようにした。

週に2回ほど、主人に乗せてもらって訪ねた。

 

たまに、幻視はあるようだ。

 

時に暴言もある。

 

長男と私たちは病気なのだと再認識して自分に言い聞かせる。

 

その繰り返しだ。

 

そこへ、胡散臭いTと言うおばさんがまた近寄ってきた。ヘルパーの資格を持っているなら母が認知症であることは一目瞭然だ。

 

主人がTに電話すると認知症ってわかってますよ。とのこと。

 

どうやら母が理解できていないのをいいことに車椅子を買わせようとしているらしくパンフレットを持参してきていた。

 

怪しいので前夫がTが来たときの録音をしていた。

 

母は疑う様子もない。

Tは「あんたは○○ちゃん(私)を娘だと思っているけど○○ちゃんは、あんたを親とも思ってない!」

 

「大丈夫!預かっていくだけだから」→何かを持って帰った様子→いまだに何かはわからない

 

主人が「認知症だとわかった上でこんなことするのは詐欺!親子のことを他人がとやかく余計なことを言うな!」と抗議の電話をした。もう一切関わるなとも。

 

 

数日後、

薬の微調整の為、母が入院することになった。

 

前に見学した病棟ではなく一般病棟だった。入院期間は3ヶ月。

 

その間、洗濯物を届けたり、顔を見に何度も病院に通った。

長男も何度も何度も行ってくれた。

 

次男は二回ほど。

 

前夫は一度も。他人だからね。

 

母の入院中、土曜日から数日間、長男がうちへ泊まりにくる習慣がついた。

 

それは母が退院した今でも続いている。

母のことを一手に引き受けてるような状態の長男の息抜きが必要だ。