鬱な私の日日日記

鬱病。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。認知症の母のことを含めて前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

民生委員

現在に至るまで、現在も悩みや苦労はあるけど、その中でも楽しく過ごした事実もある。

 

 

私の数少ないお出かけ日記を含め日々のこと等を自由にゆるーり、と記して行こうと思う。

 

 

ある年のお正月の三が日の何れかに、アートアクアリウム展へ出かけた。

 

どれくらいの数だろう?

おそらく数千匹単位だと思う。

金魚をアートとして屏風や花魁等のテーマで展示されていた。

 

毎年やっているのかなぁ?

また機会があれば(私の場合、外に出られたら(笑))行きたいと思う。

 

この時はまだガラケイだったので写真がこちらにないのが残念だ。(>_<)

 

大阪国際女子マラソンも見に行った。と言ってもスタート地点から僅かばかり。

テレビで観るのとは違って早くて誰が誰だかもわからない(笑)

 

この時期くらいだったかやっと私は引き受けていた民生委員、主任児童委員を後任者に正式に引き継げた。

 

この件でも少し不愉快な思いをした記憶がある。

 

民生委員って地域の身近な相談相手であって、その人々に合った支援をしていく人たち。

 

月に一度の会合前にも起立して民生の法の遵守?のようなものを読み上げる。誓いのようなものだ。

 

ところが、実際にはどうだろう?

 

私が訳あって家を出たこと、離婚したことなど、委員長が他の委員さんに簡単に口を滑らせた。

委員同士の事は別?

 

会合の時でも氏名は明かさないものの、噂話のようなものだった。

私がいた地域だけだと思いたいけど。

 

東日本大震災が起きたときも研修の名のもとに、研修先として震災地が候補に挙げられた。

女性委員が興味本位に「震災後どうなってるかみてみたいわぁー」

 

すると男性委員が「じゃあお土産は放射能付き瓦礫セットね」

 

 

これが私のいた地域の民生委員の姿だった。

 

 

皆がそういうわけではなく、ほんの一部だと信じたい。

 

震災地域では身を挺して住民を誘導した民生委員さんがいたと聞いている。

 

 

残念ながら私に勇気はなくその場で先輩委員さんたちを嗜めることはできなかった。

脂汗をかいて気分が悪くなり、退室しただけだった。

 

 

後に辞める理由を報告した時に、役所へ出向いて事実を話し、市全体の委員長、委員研修を開いてもらうよう約束してもらった。

 

後の報告によると肝心の委員長は欠席したとのこと。

 

後に、地域の学校の卒業式でお会いしたけど挨拶しても無視された。

 

所詮、人間。か。

 

 私もいつ今のこの地域でお世話になるかわからないなぁ。