鬱な私の日日日記

鬱病。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。認知症の母のことを含めて複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

宗教が悪いとは思っていないけど

毒吐かせてもらいます。m(__)m

 

母が来月下旬に耳の手術をすることになっています。

 

 

その事前検査の項目によって担当の医師が変わるので、認知症の母は混乱を招いています。

 

「私の担当の先生の名前は?」としつこく聞いてきます。

 

「担当医は決定しているので心配しなくて良いよ。○○先生だから」と言っても納得しません。

 

ことあるごとにフルネームを聞いてきます。

 

 

最初は不安からくるものだと思ったのですが、よく聞いてみると、「その先生の名前を聞いてお浄め(護摩を焚いてもらう)する。」と言うのです。

 

母は26年ほど前、ある宗教団体に入信しました。

熱心な信者でした。

 

私も家族入信と言う形で入っていて、責任者のような役割もしていました。

 

 

 

認知症パーキンソン病を発症してからは、そこへは行っていませんが、心はまだ離れていないようです。

 

 

不安であるからこそ、そういうご利益を願っての思いだと言うこともわかります。

 

 

なので、母には否定、批判は一切せず

「わかった。手術前にちゃんとするから安心して。」と言っています。

 

ただ、母には申し訳ないですが本当にそれ(教団の行事)をするつもりは全くありません。

 

私なりに無事手術が終わるよう願っています。主人もそう思ってくれています。

 

 

「宗教」って一体何なのでしょう。

精神力や、心身の向上、環境を良くしていくことでしょうか。 

 

私が入信していたときには、とにかく“他の為に見返りを求めず、自分の身を捧げる奉仕の心と実践だ”と教えられてきました。

 

母が発症してから、その教団の誰が母に手を差しのべてくれたでしょう。

誰が母に声をかけてくれたでしょう。

誰ひとりいません。

 

母は教団の教えを貫くことが出来ずに落ちこぼれていった“かわいそうな人”なんでしょうか。

私も同様に。

 

そういえば入信していた時に、“この教えに縁を結べない人は徳のない人だから、その人の為に祈るのだ”と言ってた自分です。

 

 

そう思えば皆さん祈ってくれてるのかも知れません。

 

と今、自虐的になってしまってる私です。

 

 

脱会した当時は何かよくないことが起きると、例えば私が精神障害者になったことや、主人が信頼していた人によって裏切られた時などは罰があたったのだろうかと思うこともありました。

 

その度に主人に支えられました。

 

今ではかなり、洗脳から解かれていると思います。

 

 

 元旦には主人と初詣にも行きますし、巡った神社仏閣では自然に手を合わせます。 



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宗教が悪いとは思ってはいません。

信じるものがあると言うことも人によっては良いこともありますし。

 

母の信じる心は大切にしたいけど、その団体が嫌なのです。

 

 

 

私には病はあるけれど、主人と共に小さな私の関係性の輪を繋げていられることに感謝して過ごしていきます。

 

 

 


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