夕方、母から電話がかかってきました。
「今晩のご飯は誰が作ってくれるん?」
は~(¯∇¯٥)
前夫が泊まり出勤の時は全て長男。
薬を飲まないといけないのと、少々食い意地が出てるのとで時にこんな電話が入ります。
完全な保護下でしか生活できないのだから当然と言えば当然です。
その後に続いた話に気を取られました。
母が入信している宗教団体から電話がかかってきたと言うのです。
「どうされてますか?」
母がどう答えたかはわかりません。
(都合が悪いときの癖で、隠し事をするときにはいつも相手を悪く言ってこちらを安心させるところがあります。)
その宗教団体は、そこに導かれた人から人へと縦の繋がりが一つのグループになっている経(すじ)というものがあります。
その長となっている人が一人一人をまず束ねて、その上に部長がいて、またその上に連合部長がいて本部にはまた、それを束ねる布教担当者がいます。
と言う具合に成り立っているので、直接的に団体そのものと関わることはまずありません。
経(すじ)の長を通り越して直接電話がかかってくることは皆無といっていいでしょう。
そういえば私が家を出たときに私宛に一度かかって来たことがありましたが、その後6年近く一度の一回もかかってはきません。
1年毎の◯費と言う年会費のようなものも払っていませんし。
母の病気のことなどは、経の長を通しては知っているはずです。
が、今頃何なのでしょうか。
経の長がかけてくるのならまだ理解できます。
それも、母が発症してからは全ての方から音沙汰なしなのです。
世の為、人の為、他が為になす。
まずは足元から実践を!
相手は鏡。自らを磨いていく。
聞けば何と謙虚で素晴らしい教えなんでしょうか。
どんなに綺麗事を言ったって、一人の小さな存在はかき消されてしまうのです。
果たしてそれが続くのか、一度だけなのか。
母を見守りたいと思います。