鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

私の根っこにあるもの

先程、母に電話をしたら、また転倒したとのことです。

 

認知症の影響で出ているパーキンソン症状。

どうすることもできません。

 

 

母の場合、立っているところから、いきなり転倒すると言うよりは、よろよろと何かにもたれかかり、尻餅をつくと言う場面が多いようです。

 

 

日曜日だと言うのに思いつくままケアマネさんに「病院連れてってー。」と電話したようです。

 

 

今と言ったら今。

 

昔からそうでしたけど。

 

 

今すぐにでも私にかけつけてほしいと言うような口ぶりです。

 

 

明日はデイサービスの日なのでヘルパーさんの段取りを聞いてから。

 

 

それに、怪我で受診すると言うより、湿布薬をもらいに行きたいと言うのが本音のようです。

 

 

心配ではありますが、100%母の望みを聞いていたら心と体がいくつあっても足りません。

 

 

母は“かまってちゃん”です。

 

数日前にも「今からチョッと見に来てくれへん?」

 

母にとっては私たちの時間も自分の時間なのです。

 

 

相手の都合はおかまいなし。

 

 

 

私のトラウマでもある母の存在をなしにすることはできませんが、心までかき乱されてしまうと自分を見失ってしまいます。

 

 

母が認知症を発症していなければ、きっと私は母と絶縁していたと思います。

 

 

今まで生きてきた私の人生で、母は波風を立てる存在でしかありませんでした。

 

 

 

認知症発症は母のせいではありませんが. . 。

 

私の中の根っこの部分で、

自分勝手に好きに生きてきて、認知症発症して、それで過去をなかったことにして今は保護下で生きて。

私をどれほどまで縛り付けたら気が済むのかと言う思いが存在しています。

 

 

切ろうとしても切れない縁。

 

 

切りたい。切れない。

 

 

どぉーーっと私の心の中に色々な思いが渦巻いています。

 

 

そんな気持ちの毎日です。

 

 

楽しいことをしていても、どこかでくすぶり続けて、その存在を消すことができない。

 

 

私の中の優しさなのか哀れみなのか、何と言ってよいのかわからない感情が出てきます。

 

 

母がいなければ何もかもから解放されて楽になれるんじゃないか。

そう思うことさえあります。

 

 

主人に思いをぶちまけたこともあります。

 

 

 

 

このモヤモヤは母が存在する限り、私の中にも存在し続けます。


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そうして今日も母に電話をかける私です。

 


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今日のおやつ。

 

今日の外出。

なし

 

 

 


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