鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

時間が経過しても許せないこと

本日は主人はお休みで、ホッとします。

 

 

心強いと言うか安心感が違います。

 

 

私は自分がお風呂に入るとき、いつも思うことが(思い出す)ことがあります。

 

 

それは、母がまだ自分の家にいるとき、パーキンソン症状が出ているときでもありましたが、まだ何とか自分でお風呂に入れていたときのこと。

 

 

まだ肌寒い時にも関わらず、長男と次男がいないからと言って、前夫がお風呂にせずシャワーにして、お風呂に入れてもらえなかったこと。

それをわざわざ私にメールで知らせてきたこと。

 

 

お風呂の蓋に母が間違うからと文句を言って前夫が油性マジックで表、裏と書き記したこと。(当時は母がお風呂洗いをしてました。)

 

 

風呂場に手すりをつけたときに前夫が文句を言ったこと。

 

 

かなりの意地悪をされたことを思い出して胸が痛くなるのです。

 

 

 

意地悪はこれだけではありません。

 

食事、洗濯、とにかく母に対してありとあらゆる意地悪をしてきました。

 

 

離婚協議の約束をことごとく裏切ってきました。

 

 

 

私はまだ自分の力でお風呂の出入りもできますが、高齢の母にとっては怖かっただろうと思います。

 

 

そのことを毎回思い出してしまうのです。

 

 

今は表向き前夫とは話もしますし、最低限の付き合いもありますが、どうしても以前のことを思い出すたび怒りが出てきます。

 

 

今は施設で暮らし、穏やかにはなっていますが、母が家にいないことで、せいせいしていると思うと憎らしくさえ思います。

 

 

なので、前夫が心筋梗塞で入院した時も、検査でカテーテルをした時も、かわいそうだとは思ったことはありません。

“どうなってもかまわない”とさえ思います。

 

 

 

昔は母と私の間にも人には理解してもらえない確執がありました。

 

 

母が認知症と診断されてから、その思いも薄れてきました。

 

 

以前は好きなことをして生きてきて、私を束縛し、前夫と結託して私を追い込んだと言う事実があるため、母には両価感情があったのも事実です。

 

 

が、今では母が忘れてしまって、施設で穏やかに暮らしているのならそれでいいと思っています。

 

 

主人は「何と言っても母娘なんやから。」と言います。

 

 

今では理解できますが、当初は許せませんでした。

 

 

自分の家がありながら、前夫に乗っ取られた気分です。

 

 

長男がいなければ、売却して母の為に残しているでしょう。

 

 

毎回、お風呂に入るたびにそんなことを思ってそこに執着してしまう気持ちが苦しくてたまりません。

 

 

前夫を許せない自分が嫌になる時は今はありません。

 

 

本当は、自分を解放した方が楽になるのはわかっていますし、人を憎むことで良いことは生まれないこともわかりますが。

 

 

精神科の仙人先生にも「無理に許す必要はない。」とは言われてます。

 

 

 

今の母は穏やかなので、それで良しと言い聞かせます。

 

前夫のことを無にできれば自分も楽になるのでしょうけど、実家に住んでると言う事実が無にできない理由のひとつです。

 

 

 

レビー小体型認知症の人の平均寿命は7年と何かで見たことがありますが、母には穏やかに長生きして欲しいと思っています。

発症してから3年は経っていると思います。

 

 

 

今日は夕方に長男を迎えに行きます。

 

 

また二度寝しそうです。

 


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