鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

湯張りしていない浴槽に入っていた

昨日の外出翌日の今日は一度7時半に目覚めて主人がトーストと珈琲を用意してくれて食べました。

 

お見送りはできました。

 

 

その後は布団へ行き、12時に目覚める。

 

体力のなさ実感。

 

 

お昼ごはんは長男が味千ラーメンを作ってくれました。

無理矢理お腹に入れた感じ。

 

 

競馬はメインレースだけ見よう。

 

 

洗い物は多かったけど何とかできたかな。

長男がすると言ってくれたけど…。

 

 

明日は区役所へ行かなければならないので道の駅しらとりの郷はどうかな。

行くのかな。

 

 

昨晩はシャワーだけだったのに、湯張りをしていない浴槽に入り込み別人格が出た模様。

 

 

幼少期の(小学2年生頃、母が家を出ていった時期)に登下校の時の小学6年生の班長さん(名前は覚えていない)が週に一度「お母さんがいないと寂しいでしょう。」と言って私を誘って淀川まで手を繋いで一緒に歩いてくれ、板チョコをパキンと割って私に差し出してくれて、帰りにも手を繋いで家まで送り届けてくれたと言う話しをループ。

 

 

していたらしいです。

 

 

記憶では背のスラッとした人だったような。

歩き方に特徴があって、踵から綺麗につま先を着地させる歩き方をしていたような。

憧れていたお姉さん。

 

 

顔は全く出てこないです。

 

 

枚方に住んでいる父に聞いたらわかるかな?

 

 

 

父には不定期にメールを送るようにしています。

 

 

娘も必ず月に一度はメールしてくれてます。

 

 

父とは私が小学3年生の時に別れて、何度かは会っているけれど、もう高齢なので気にはなります。

 

 

父は母と離婚して暫く経ってから再婚し、再婚相手の方の強い希望で養子をもらって育てていました。

 

 

なので、私には血の繋がりのない弟がいます。

 

 

父から見れば30才を超えても親に甘えて仕事もせずに自分がいなくなったらどうするのか?と心配しているようです。

 

 

再婚相手のおばさんは数年前に肺がんで亡くなりました。

 

 

入院当時、ドクターから面談があった時に、弟に対してドクターが、「お父さんの他に頼れる人は?」と聞かれて「姉がいます。」と答えたそうです。

 

二度、三度会ったことがあるだけですが…。

 

それを聞いて父が「mashanを当てにするな!」と怒ったそうです。

 

 

正直、私には弟と言う実感はありません。

父の中でも私には迷惑をかけてはいけないと言う思いがあるのでしょう。

 

 

私も父のことは心配だけれど彼については…。って気持ちです。

 

 

先はどうなることやら。

父にもしものことがあったら連絡は入るのかな。

そんな心配があります。

 

 

鬱な私の日記でした。

 

 

 


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