鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

医師の全てが“先生”じゃない気がする

母は昔から耳が聞こえにくく、左耳には補聴器を入れています。

右耳も悪く、この補聴器を外すとほとんど聞こえない状態です。

 

ここ最近になって母の右耳から出血する頻度が多いので耳鼻科に連れていきました。

 

慢性の中耳炎による“耳茸”と言う肉芽が原因と言うことでした。

 


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担当医は母が認知症だと言うことも、心臓が悪く、血液が凝固しないようにサラサラにする薬を服用していることもご存知です。

 

主人が「治療はどのようなものですか?」と質問すると

 

 

「心臓の薬飲んでるから、このままだと頻繁に出血はするでしょうねぇ。大出血の可能性があります。このまま一生、だましだまし治療に来るか、手術をして根本的に治すか。どちらかですねぇ。まぁ手術しても再発がないわけでもありません。どうします?」との返答でした。

 

選択するのは患者側であることはわかります。

 

 しかし、認知症の母はちょっとした言葉がきっかけで大きな不安を持ちます。

 一つの言葉にいつまでもこだわり続けます。

 

母は「手術怖いです。」と言いました。

 

すると「放って置く方がもっと怖いと思うよ。」との返答。

 

結局その医師は手術をした方が良いとの見解です。

 

確かに1日に多数の患者を相手に豊富な知識をフル稼働させて、患者の為に良い治療を。と思ってくれているのでしょうし、きちんとした専門家なのでしょう。

 

 

それから毎日、母は耳のことにばかりに気がいって、私との会話で必ず「怖い怖い」と言います。

 

精神科の医師にも相談し対応していますが母にとって恐怖となった言葉は母からは離れません。

 

 

医師も人間ですから一から十までを正しく導けとは思いません。

 

が、

 

専門的な医学、患った“部位”だけでなく、患者が他に抱えている病に対して、もう少し配慮をしてほしかったなと思ったのでした。

 

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