鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

家族が認知症になったなら

私の母が診断により認知症だとわかったのは約一年前です。

 

それだとわかる前は、認知症と言う言葉は社会的にも注目されていましたが私には“自分の回り”で起きるとは微塵も考えておらず、母は気が狂ったのだと思うしかありませんでした。

 

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でも実際に母が罹患してしまったのだから、受け入れていくしかありません。

 

それからはネットで調べたり、専門医の話を読んだり聞いたりと私なりに理解しようとしました。

 

理論的にはわかっても、いざ本人に対応するとなると難しいものです。

 

最低限これだけはしないようにと心にとめて接するのがやっとです。

 

時に考えてもいなかった質問にあたふたすることもあります。

 

先日デイサービスから帰ってきたときに「他のメンバーは楽しいから笑ってるけど、その時の私は楽しくなかったから笑わなかった。笑わないとダメ?」と。

 

一瞬「えっ?」

 

結局「楽しくないのに無理に笑わなくていいよ。楽しいと思ったら自然に笑顔は出るものだからそれでいいよ。」と言いました。

 

 

母は「良かった。私だけが笑ってなかったから無理にでも笑わないとダメだと思ってしんどくなってん。」と言ってました。

 

 

受診の時には毎回医師に対応の仕方を聞いてしまいます。

自分が良くない対応をすることで母を苦痛にさせるのは嫌だからです。

 

 

 

ある医学博士の話によると、

認知症と診断されたあとの家族から「本人とはどのように接すればよいでしょうか」と言う質問を多く受けるそうです。

 

その医師は「普通の人と同じように接して下さい」と答えるそうです。

 

本人は家族から何もできないような扱いを受けるとプライドが傷つき落ち込んで症状が悪化しかねないからです。

 

☆失敗しても責めたり叱らない

☆よかれと思って諭したりするのもしないように。

 

これは、失敗したことを忘れて、注意された叱られた嫌なことだけが心に残るからなのだそうです。

 

認知症の人は記憶をなくすことに大きな傷を不安、悲しみを感じていることを理解して環境を整えることが大事だそうです。

 

 

母は昔から活動的で料理も何でもできる人でした。

 

ですから、認知症になってもせめてこれくらいはとキッチンに入ってこようとするのですが、パーキンソン病も発症していて手元足元も危なっかしいので、ついつい長男は「向こうで座っとき」と言ってしまうそうです。

 

こちらは危ないからさせない、本人はさせてもらえないと落ち込む. . 

 

負の循環です。

 

 

最初は悲しそうな顔をして「申し訳ない申し訳ない」と泣いていた母も、私が「長年一生懸命やってきたのだからそろそろ任せてもいいと思うよ。」と言うとホッとしたように「じゃあ、そうさせてもらおうかな。ありがとう。」と言います。

 

 

 

と言って、全てを取り上げてしまうと行動とコミュニケーションの範囲が狭くなって脳への刺激が減り、できないことが増えてしまいます。

 

家事などはまったくできなくなっているので、リハビリと言うことで今は5才児程度のドリルをするようにしています。

一枚一枚日付と名前を書くように促しています。

 

けっこう楽しそうにしています。

 

簡単な塗り絵もしています。

 

お手本と違った色のイメージだと困ったなぁと言う顔をするので一つ一つ褒めると

これでいいのかと納得します。

 

今まで気にならなかった小さなことまでもが気になり不安になるのでしょう。

 

 

常に優しい言葉で安心を与え、話を真剣に聞き、一人の人間として尊重し恥をかかせない、失敗を責めたり説得や指導をしない。

 

 

認知症は治らない病の一つだとは思いますが

教わったポイントを私たちがしっかりと頭に入れて応用しながら対応し、専門医の適切な治療とケアを受けていけば

今のように自宅で少しでも長く生活していけるのではないかと思います。

 


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