鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

遡り

本日、大相撲千秋楽。

賜杯は誰の手に?

私がドキドキしてどうするねん。

 

 

 

3月春場所は大阪で開催されるだろうか?

されたとして、チケットは取れるだろうか?

 

 

当たり前の観戦がコロナウィルスによって当たり前じゃなくなった。

 

 

 

野球では日本シリーズが始まっているみたいです。

主人が見ていますが私は全く興味はありません。

 

 

 

遠い遠い昔、長嶋さんが背番号90番で監督をしていて最下位だった時に巨人を応援していて、成人してからは森監督率いる西武を応援していた時がありました。

 

 

石毛選手が好きでしたね。

今、ソフトバンクの監督工藤さんがピッチャーしてた時の頃です。

 

 

当時は藤井寺球場があって、近鉄バファローズとの試合のときに同じ職場のMちゃんと観戦に行ってました。

 

 

 

いつの間にか冷めてしまい…。見なくなりました。

 

 

 

中学生の頃はバレーボール部だった事もありバレーボールをよく見ていました。

 

 

 

ちょうどワールドカップの頃です。1978年頃かな?

 

 

新日鉄の小田さんのファンでした。

後にわかることとなったのですが、小田さんのお嬢さんと私の娘が同じ高校の同級生でお友達でした。

 

 

当時だったら発狂してたわ私。(笑)

 

 

一度家に(現実家)にも遊びに来てくれました。

その時に、娘さんが知らないであろう昔のお父様(小田さん)の写真を私はたくさん持っていましたので見せて差し上げました。

 

 

 

「ありがとうございます!」って。

育ちの良い、よくできたお子でした。

 

 

 

当時は体育館にも見学に行き、一緒に写真を撮ってもらったりサインをもらったりしてました。

どこいったんやろ?ない。

 

 

 

月刊バレーボールとバレーボールマガジンと言う本も毎月購入してまして、個人情報保護法なんてものなかった時代ですから住所氏名載せてもらって文通なんかもしてました。

 

 

 

新日鉄(現堺ブレイザーズ?)の本拠地が堺と言うこともあって、堺在住だった私は新日鉄ファンの方から羨ましがられたりしてました。

 

 

 

独身寮も自転車で少し行ったところにあったので文通希望者が返事書けないくらい殺到しました。

 

 

 

真面目だった(?)私は何日もかけてお返事書きました。

全員とはできないので新日鉄と並んで強かった日本鋼管ファンの寝屋川市在住の方と兵庫県在住の方の二人と文通を始めました。

 

 

 

情報交換や写真交換もしました。

 

 

 

 

生活は母の再婚相手のDVで荒れていたと思うのですが、唯一の楽しみでしたねー。

 

 

 

 

私が専門学校(歯科衛生士)に行くことになり、勉学に集中しないといけなくなって文通は終わりました。

 

 

 

懐かしいなぁ。

 

 

 

こうしてみると私って熱しやすく冷めやすいのかも…。(笑)

 

 

 

エネルギーもなくなったし。

 

 

 

今は珈琲とおやつを食べながらテレビで競馬と大相撲観戦が楽しみになったおばちゃんです。

 

 

 

えらい話が遡ってしまいました。(汗)

 

 

鬱な私の日記でした。

 

 

 

 


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