鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

遠くの親戚より近くの他人

昨日、離れて暮らす父から(私が小学3年生の時に父母は離婚)メールが来ました。

 

 

 

私の身体を心配して…。

 

 

 

父も肝臓の数値が異常に上がったことがあって、心配してくれているようです。

 

 

父母が離婚した後も、私と父は交流があります。

 

 

 

離婚後、父は母と同い年の女性と再婚しましたが、関係は良好。

 

 

 

 

 

 

私の子どもたち3人の進学時のお祝いやお年玉など何かと気を使ってくれました。

 

 

私が言うのも変ですが、よくできた気のつくおばさんでした。(数年前に肺癌で死去)

 

 

ただ一つ、私に対しての葛藤があったのだろうなと思わせる出来事がありました。

 

 

 

それは、私の実家近くに住む父の姉、私から見ると伯母ですが、転倒して右手首を骨折したことがありまして。

 

 

その頃は私もまだ前夫と暮らしていましたので、母と協力して食事を届けに行ってました。

 

 

伯母には長男と長女がいますが、長男とは絶縁状態、長女は今の私と同じく大阪市内在住で、堺市までは車の免許を持たない彼女は原チャでしか来れなくて、仕事もあり、週末にしか来られませんでした。

 

 

 

私は専業主婦でしたので伯母の食事を作ることはたやすいこと。

それに母はその頃はまだ健康で料理が上手、レパートリーも広い。ので伯母も喜んでくれました。

 

 

 

伯母からその話が父に行って父からうちにお礼の電話が入りました。

 

 

 

そしておばさんとも電話を変わり「ありがとうねぇ。」と言われました。

 

 

「いえいえ。無理はしてないのでお気遣いなきように。」

 

 

 

すると、おばさんの口から出た言葉が

 

 

「遠い親戚より近くの他人て言うもんね。」でした。

 

 

 

父母が離婚したとはいえ、伯母は私の伯母に変わりはありません。

 

 

 

その時は気分が悪くなりました。

 

 

 

おばさんは何気に言ったのかは知りませんが、心のなかで父と私の関係にわだかまりを持っていたのかもしれません。

 

 

 

私はおばさんに隠れて父と関係を築いていたわけでもありませんし、まず最初に電話に出るおばさんと話して、おばさんから父に代わるまで私からは父をお願いしますと言ったことは一度もありません。

 

 

まぁ、おばさんも父に代わってくれないことはありませんでしたが…。

 

 

最後に再度おばさんに代わってもらって電話を切ると言うパターンでした。

 

 

 

父とおばさんには子供ができず、養子をもらって男の子を育てることにして(父は最初猛反対)暮らしてました。

 

 

 

高校から不登校になり、就職もしないまま現在に至ってます。

 

 

 

おばさんが異常なほどの執着で子育てをして、そのことで父とおばさんはよく揉めていたみたいです。

 

 

私に次男が生まれてから一度枚方の自宅にお邪魔しましたが、その息子はおばさんにべったりで全く自立できていませんでした。

 

 

父が高齢になって、自分がいなくなったら生きていけるのかと心配しています。

 

 

 

おばさんが亡くなる前に医師からその息子に「誰か頼れる人はいますか?」と聞かれて「近くではないけど、姉が(私のこと)います。」と答えたそうで、その時に父は「mashanは関係ない。頼るな。」と言ったといいます。

 

 

 

正直に言うと、父とおばさんとの付き合いはあったけれど、その子とは全くありませんでした。

 

 

 

血の繋がりがない上に付き合いも無いとなると、情も芽生えません。

 

 

いまだに弟と言う感覚は全くありません。

 

 

 

父もそんな息子のことを心配しながらも切ってる状態です。

 

 

 

私も父とのメールで触れることもしませんし。

 

 

 

それどころじゃないと言うのが今の私の現状。

 

 

 

躁鬱な私の日記でした。

 

 

 


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