鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

救急搬送

 

 

 

 

 

 

 

何十年も前の心の傷が今も完全には癒えていません。

 

 

 

気持ちの変化はあったけれど、トラウマとして残っています。

 

 

 

昨日のお昼に五味八珍にラーメン食べに行こうってなって、主人と車で向かっていたら母が入所する施設の知らないスタッフさんから電話が入りました。

 

 

 

転倒してコロナに感染して次は何?

と少し心臓が高鳴りました。

 

 

 

またの転倒で頭を打って…。

その前には嘔吐があり…。

コロナに感染しているので保健所の指示を仰いだところ救急車を呼んで受診してくださいとのことだったそうです。

 

 

 

診断の結果によっては家族さんの判断を仰ぐことがあると思うので病院へ行ってもらえますか。とのこと。

母には施設長が付き添ってくれてます。

 

 

 

お昼食べてる場合じゃないってことですぐに病院へと向かいました。

 

 

どれくらいで到着できますか?と聞かれたので、余程ひどいのかなと思いを巡らせ少し動悸がしました。

頓服服用。

 

 

道の混み具合もあるので、1時間以内には行けると思います。と返答。

渋滞なく40分位で到着。

 

 

 

地域では脳外科では有名な病院。

 

 

 

一時間半ほど待って医師からの説明を受けました。

 

 

 

CT検査も消化器系の検査も血液検査も異常なし。

軽い貧血はあるのと搬送されたときに呼吸の乱れはあったものの、それも説明を受けた時点では落ち着いている。なので様子見で良いとなりました。

 

 

 

ただ、脳を囲んでいる膜と骨との隙間?ができていて(これは加齢と共にあること)そこの細かい血管が切れてしまってジワジワと血液が漏れてくると手が痺れてきたり症状が出てくる。そうなると手術しなければならないこともあるので、転倒して頭を打つことはできるだけないように。と。

 

 

 

パーキンソン症状が出ていて体が強張り足も不自由なのに立とうとするなて。

性格ですかね。

 

 

昔からバタバタと落ち着かなくて、とにかく体を動かしていた人でしたから。

 

 

 

そのおかげで母と同居していた私は休むことを許されませんでした💦

 

 

 

施設のスタッフさんからも立ち上がらないように注意されてるはずなんですけどね。

理解できないほど認知が進んでるわけではなさそうです。

 

 

 

 

施設の入居者さんの中でも母ほど迷惑かけてる人はいないんじゃないかな。

 

 

 

とりあえず異常なくて良かったです。

 

 

 

母がコロナ感染者なので濃厚接触者となってはいけないので会うことは許されませんでした。

施設長も同じくです。

 

 

 

 

帰ってきてから施設に電話してお礼を言わないと。

 

 

 

 

帰り道、CoCo壱番屋で遅いお昼ごはん。

 

 


f:id:amgmc:20220910155331j:image

イカカレー2辛とタマゴサラダ。

 

 

 

母に異常がなかったから食べられたけど…。

 

 

 

施設長と母はもう帰ってるかな?

電話を入れてみましたがまだ帰ってない。

 

 

 

また後ほどかけます。と言って電話を切るとほぼ同時に電話がかかってきました。

 

 

 

施設長にお礼を言いました。

 

 

施設長はご家族さんにご心配をおかけして申し訳ありませんでした。と。

 

 

 

いやあもうお互い謝ってる感じでした。

 

 

 

ホッとしたのか頭痛がしてきたので薬を飲んで少し横になりました。

 

 

 

夜のお月様は綺麗でした。

 

 

 

昨夜、寝てすぐ起こされて、主人が長男来たよ〜と。

寝とぼけてたからあまり覚えていない。💦

 

 

 

今朝は朝マック


f:id:amgmc:20220911092325j:image

月見マフィン。

3人で仲良く頂きました。

 

 

 


f:id:amgmc:20220911092437j:image

晴れ時々曇り、33℃予報。

カーテンを開けることができました。

 

 

鬱な私の日記でした。

 

 

 

 


にほんブログ村