離婚した母は深く傷ついていたと思う。
私はそれからHのことには触れることはなかった。祖父母からは今後、「母として生きるように」と言われたようだ。月日と共に本来の明るい母に戻っていった。
祖父母から離れを与えてもらい、母子二人の生活を始め、経済的援助を受けながら母は花屋をはじめた。
これで安穏な生活を送れるのだろうと少し心があたたかく感じた。私の高校生活も楽しいものとなった。
ところが、母は何かに物足りなさを感じていたのか私に対するあらゆる干渉をし始めた。
門限はもちろんのこと、彼氏、友達関係、服装。手荷物検査まで。うるさい!
でも口答えはしない。飲み込む。
私は高校2年生の時には朝家を出て学校へは行かず姉妹だけで暮らしていた友達の家で遊ぶようになった。当時、盛んだった暴走族のレディースのメンバーにこそならなかったものの、つるんで走った。他校の生徒と喧嘩もした。他府県の狂走族の総長が彼氏だったりもした。言い訳にしかならないけど、自分の体内を傷つけるシンナーや喫煙などは一切しなかった。
こんなことしていても虚しいだけだと自分自身が一番知っている。
何よりも祖父母に心配をかけてるのだとわかっていた。
もうやーめた。