鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

2017.5.4 Thu. 過去7 再離婚

平穏な日々。祖父母に感謝。母はどうしてるんだろう?等と考えたことは一度もなかった。私よりDV男Hを選んだ人。今さらだった。私は高校生になっていた。

Hのラボが祖父母の敷地内にあるため、嫌でも顔を合わせることがあった。もちろん母とも。しかし、母はHがいるとき私には近寄ってもこず当然話すこともない。どうやらHが私と関わることを禁じたと後に母がHの目を盗んで家に来たときに聞いた。

ふーんって感じだ。それで二人が上手くやっていけるならそれでいいんじゃないかと冷めた気持ちでいた。ところがHの性根なのか、責める対象がなくなると、刃を母に向けた。

暴力はなくならず酒を煽り仕事の納期も遅れる始末でいよいよ取引先の医院からの依頼も減っていった。精神的に疲れた母は宿った命を失った。否、奪われた。いたわることもせず、その責任もお前にあるのだと重ねて暴力をふるった。

ついに耐え兼ねた母が祖父母の元に逃げるようにして帰って来た。

それを知ったHが怒鳴りこんできた。母の髪を引っ張り振り回す。祖父母も振り回された。飛んで行く。母を庇う気持ちより祖父母に対する暴力が許せなかった私は無我夢中でHに向かっていった。頭を殴られお腹を蹴られ、このままでは殺されると思った。迷うことなく110番。落ち着け落ち着け。言い聞かせても震える手。「男が暴れています。助けて下さい。」パトカーのサイレンは田舎町にはとても大きく聞こえた。Hがパトカーに乗せられて連れていかれた姿は見ていない。

私たちは念のため病院で検査を受けた。祖父母異常なし。母は擦り傷。私はお腹を蹴られたことで血尿が出てるので要注意。

警察から説明を受け、1日は留置場で過ごし私たちには近づかないよう注意されて翌日釈放。本当にそれで大丈夫なのか?

仕返しはないだろうか?

よくよく考えると、もともと小心者のHは警察沙汰にされたことで怖じ気づいたのだろう。あっさり協議離婚が成立した。