鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

亡くなった人に会いたいのだけど。

悩んだ末、外に出てみることにしました。

 

 

ローソンでおやつ買ってスーパーダイエーへ。

 

 

何故かスマホが固まり、ローソンでは楽天ポイントGETできずでした。

 

 

明日は今年初めて長男が家へ来ます。

 

 

お正月、前夫の入院があったり、試験があったりで毎週土曜日のお泊まりは延びていました。

 

 

何か、やっと来るんだって感じです。

 

 

久しぶりにカレーを炊こうと思います。

 

 

叔母を思い出しながら。

 

叔母のことをきぃばあと呼んでいました。 

 

 

きぃばあは母のすぐ下の妹で(母は三姉妹の長女です。)13年前、胃ガンで亡くなりました。

 

 

最後まで自分の病を知らないままに。

 

 

でも、自分の死期を感じていたのか、娘が高校入学前に「好きなものを買ってあげるから何でも言いや。欲しい家具とかないん?」と娘にしきりに尋ねていました。

 

 

悩む娘に「きぃばあに時間ないから早く決め。」

 

 

ドキッとしたのを覚えています。

 

 

叔母にも二人の孫がいましたが、息子の嫁とうまくいってなくて、なかなか会わせてもらえなかったのです。

 

 

叔父は叔母のことを庇うわけでもなく、自分一人良いおじいちゃんになって、時に叔母のことを悪者にしていました。

 

 

私は叔母が亡くなってからは叔父とお付き合いはありません。

 

 

たま~に母を訪ねては来ているようですが。

 

 

一度、母の一番下の妹の主人(叔父)のお葬式の時に会ったかな。

 

それでも挨拶程度で終わりました。

 

 

 

 

叔母には私の子供たち3人、本当によくしてもらいました。

 

 

叔母の家からPLの花火が綺麗に見えるので、毎年「見においで~。」と声をかけてくれてました。

 

 

 

 

その時のメニューが決まってカレーなんです。

 

子供たちはそれが楽しみで、「きぃばあのカレーは美味しい。」と喜んでいたのを思い出します。

 

 

とにかく、子供たちと同じ目線で話をし、よく遊んでくれました。

 

 

 

叔母は小さな体がいっそう小さくなっていきましたが、不思議なことに痛みで苦しむことなく、一瞬の心臓発作のような逝き方でした。

 

 

子供たちは深い悲しみに涙が止まらず大泣きしていました。

 

もちろん、私は覚悟はしていたものの、きぃばあがいなくなるなんて信じられず、しばらくは脱力感でいっぱいでした。

 

 

いまだに子供たちからは「何で、性格が一番いいきぃばあが一番に亡くなったんやろ。」と言う言葉が出ます。

 

 

桜の花が咲き誇る季節でした。

 

 

 

 

きぃばあに会いたいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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