鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

宗教

今日も酷暑です。

 

 

主人のお見送りに外へ出たらカーっとしました。

 

 

 

主人は室内勤務ですが、通勤中のバイクと食後に煙草吸いに職場近くの公園へ行くだけで(職場敷地内禁煙)、すでに日焼けしています。

 

 

 

マスクを付けているので気をつけないと変なことになります。

 

 

 

いつまで続くのかこの暑さ。

 

 

 

引きこもりの私は逆に汗をかくことがないので体力に自信がありません。

 

 

 

念入り掃除は汗かきますけどね。

そんなのたかがしれてますし。

 

 

 

今日は7時に主人に起こされて、夢の途中だったので変な感じです。

夢は覚えていないので良しとします。

 

 

 

今、とある宗教団体が注目されていますが、私も以前は別の宗教団体S苑に入信していました。

 

 

完全に良いものとして活動していました。

熱心に。

 

他が為に…。と言う教えでした。

 

 

私がそこから脱出できたのは母の病です。

レビー小体型認知症です。

 

 

それまで、毎日のように人が訪れたり電話がかかってきていましたが母の病がわかった途端に途切れました。

 

 

 

そんなもの。

 

 

 

唯一、元小学校教諭の女性のSさんが「◯◯さん(母)には大変お世話になり感謝の気持は途絶えません。近頃お姿をお見かけしませんがどうなさっているのか心配です。連絡をとりたいのですが、電話も繋がらないので…。」と私宛にショートメッセージが数回来ました。

 

 

私は母が病にかかり、身体も不自由になり現在は施設に入所している旨と心配してくださっていることに感謝しますと返信しました。

 

 

 

母のことが無ければ今でも信じて信仰していたと思います。

 

 

前夫と別居した時点でも通っていましたから。

 

 

母の入所後に母の苑関係の書籍など迷いなく処分することができました。

 

 

 

 

先日、娘が泊まりに来た時にも話したのですが、本当の救いはそこにはなかったねって。

娘は信者三世になります。

娘も今では所属していません。

 

 

 

苑からすると、信仰が途切れるということは私自身に徳が無かったと言うことになるのでしょうか。

 

 

 

信じる人を否定するつもりはありませんが、私の場合、抜けることができて今は鬱と向き合いながらも幸せです。

 

 

 

今は主人を信じて過ごしています。

 

 

 

信仰心が無くなったわけではなく、神社仏閣にはお参りします。

 

 

 


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晴一時雨予報。

35℃

カーテンを開けることができました。

 

 

鬱な私の日記でした。

 

 

 


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