鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

何をどうしても消えない傷もあるんだよ

昨日の大相撲は鶴竜が優勝しました。

おめでとう!

 

 

大相撲が終わって楽しみが減ってなんだか寂しい気持ち。

 

 

函館競馬は9番の馬が競争除外で払い戻し。

まぁ、出走してても的中ならずでしたけど(笑)

 

 

 

 

私が鬱と診断されてから何年になるんだろう。ふと思いました。

ハッキリと思い出せない。

 

 

 

今の精神科へ初診で行った時にはパニック障害でした。

 

 

幼少期から思春期にかけてのトラウマと、

前夫によるDVのPTSDだと言われました。

 

 

 

母と前夫の結託により、子供たちとも気まずくなり孤立してしまったのが始まりです。

 

 

前夫は子供たちにもメールを送り、私を吊し上げにするとまで言ったのです。

 

 

この時点で夫婦は終わっています。

とにかく前夫の元から逃げなくてはいけないと思ったのでした。

 

 

 

その中でも次男とは当時のガラケーで連絡を取り合い、唯一の私の味方だったと思います。

 

 

それから、娘ともたまたま遅い時間に話すことができて誤解が解けたと記憶しています。

 

 

長男とは私が別居してから話すようになりました。

 

 

子供たちの学校行事(長男、次男の高校卒業式等)には今の主人や娘に付き添ってもらって参加できました。

 

 

当時は常に前夫のメール攻撃、監視に怯えていました。

 

 

 

今でも、追い詰められる夢を見ます。

目が覚めて、“あー夢で良かった”と実感します。

 

 

それでも鬱はなかなか私からは去ってくれません。

 

 

前夫と母との関係がこじれてからの年数と、身の上に起きた恐怖がトラウマとなって残っています。

 

 

母と前夫の間もこじれて、母の認知症になってからの嫌がらせメールも加わって、八方塞がりの時期もありました。

 

 

主人がいてくれなければ、今、私はここにはいないと思います。

何度カッターナイフで切りつけたかわかりません。

 

体も心も悲鳴をあげていました。

今でも希死念慮に支配されることがあります。

 

 

 

夕方になって外が暗くなってくると恐怖が襲ってきます。

レキソタンの出番ですね。

 

 

 

いくら、今は主人に守られてるとは言え、傷は残っているのです。

 

 

その傷はおそらく消えないと思います。

 

 

現在は前夫が実家に住んでいるため表向きの付き合いはあるものの、心の奥底では憎んでいると思います。

 

 

それが良いことではないとは思いますが、どうしても許せない自分がいます。

 

 

 

心筋梗塞で入院した”“ムカデに噛まれた”等々、今の私にはどうでも良いことです。

 

 

死んでくれとは思いませんが、死んでもかまわない。そう思っています。

 

 

 

綺麗事では済まない事実があります。

 

 

 

母は認知症になって困ったこともありますが、それが故に許せている部分もあります。

 

 

母のことも前夫のことも“過去の事なんだから”と締め切ることはできません。

 

 

 

これからどれだけ生きるかはわかりませんが、傷と共に生きていくのだろうと思います。

 

 

 

鬱とした気分が晴れる時は来るのだろうか。

 

 

 

しかし、今の事を考えて、波はあっても1日1日を乗りきって行きたいと思ってます。

 

 

 

そう思えばブログの存在は今の私には大きな存在です。

 

 

皆さんの記事を読ませて頂いて元気になったり笑いをもらえたり、共感したり感動したり。

 

 

自分の思いを記すことができて(吐き出す)、本当に今ではなくてはならないものになっています。

 

 

ブログを薦めてくれた娘に感謝しつつ(娘は現在ブログはお休みしてますが。)これからも日常を綴って行きたいと思います。

 

 


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