躁鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。認知症の母のことを含めて前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

父はいまだに私に対して悪いことをしたと思ってるけど、そんなことないし、私なんて離婚2回だよ。

珍しく父からメールが来ました。

父はまだ私に対して申し訳ない気持ち(離婚によって傷つけたと)を持っていて自分からは積極的には行動しません。

 

 

 

私は離婚は母のわがままだと思ってるし、父にしたら寝耳に水の出来事だったと思います。

 

 

どちらに対しても恨みつらみはないです。

夫婦にしかわからないこともあるし、私自身が離婚経験2回ですから。💦

 

 

でも親ってそうなのかも知れない。

娘の父親と離婚したときには相手には何とも思わなかったけど、娘に不憫な思いをさせたと思ったし、前夫との離婚のときには二人の息子に寂しい思いをさせたと思うし、実の父親だと思ってた娘にも辛い思いをさせたと思ってました。

 

 

でも、前夫の異常な執着とDVを子供たちは理解してくれていたので逆に距離を置いて少しでも遠いところに越した方が良いと意見をもらって大阪市を選びました。

 

 

話がそれましたが、

 

 

 

父は数年前に主人に会いたいと言うので、主人と私と娘と4人で会ったことがあります。

 

 

その時に、「天気の事でも良いからたまにメールもらえるかな?」と言われ、父の性格が理解できているつもりなので「了解だよ。」と答え、それからは私からメールするようにしています。

 

 

父は「メールもらえることが嬉しい。」と言います。

 

 

たまーに電話したりします。

 

 

本来無口な父がよく喋る。(笑)

 

 

メールでは、足腰が弱らないようにする為、私が小学3年生の一学期だけ通った小学校周りを散歩しているらしく、祝創立50周年の幟を見て懐かしいなぁと。

 

 

 

それまでは殿山第一小学校に通ってて3年生から新設された小倉小学校にかわりました。

 

 

 

一学期だけというのは、その後すぐに父母が離婚して母に引き取られたからです。

 

 

 

枚方市から堺市に引っ越し。

 

 

 

今は前夫と別居の後に大阪市に引っ越しして落ち着いてます。

 

 

人生の中で堺市在住期間が一番長いです。

 

 

 

精神科は堺市内です。

初診からずっと変わっていません。

主人が(当時はまだ主人ではなく)紹介してくれた先生です。

 

 

 

主人は教職で病む先生が多くて精神科を知っていたわけです。

 

 

娘も同じところに通院しています。

 

 

 

さて、競馬の中山金杯京都金杯はハズしました。

あとの一頭がハズレるんだなぁ。

今年こそは一発目取りたかったなぁ。

 

 

年も開けたし母の面会を申し込もうと思って施設に電話したら「オミクロン株の感染が拡がってきているので、現在様子見していて面会は休止しています。」とのこと。

 

 

 

「オンライン検討中なので、次回の通信までお待ち下さい。」

 

 

 

オンラインは母がなかなか理解できないので対面がいいんだけどなぁ。

手を握ったり背中を擦ったりできるから。

 

 

 

でも感染のことを考えたら仕方ないし、施設の対応に感謝しないとですね。

 

 

躁鬱な私の日記でした。

 

 

 

 

 


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