鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

母の日

娘夫婦が少し早い母の日のプレゼントを送ってくれました。

 

 

 


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中身は撮りにくいので…。パンフ。

パンとセットになってました。

 

 

さっそく主人と分けて一つ頂いてみました。

 

 

濃厚なスープにカリッとパン。

合いますね。

美味しかったです。

 

 

 

娘曰く「糖尿があるから甘いものは控えた。」と。

 

 

 

夫くんにもお礼のLINE。

 

 

 

私は母に何もしていないです。

何のことかわからなくてもしてあげるべきなのかな。

 

 

 

誕生日には元気でいてほしい気持ちを込めてビタミンカラーのお花をプレゼントしてます。

枯れたら処分して下さいと施設のスタッフさんに伝えています。

 

 

 

次回からはブリザーブドフラワーにしようか。

 

 

 

 

 

 

とブログしてたら、やっぱりお花のプレゼントしようと思い、ポチッとしました。

母はお花が好きで(再婚相手と離婚後祖母のあとをつぎ花屋さんやってた時期がありました。)

赤が好きなので、赤のカーネーションを。

 

 

 

母は元気な頃毎日お洒落してお化粧して、真っ赤な口紅がよく似合う美人さんでした。

 

 

今では化粧水をつけることも忘れています。

というか億劫だそうです。

 

 

 

施設入所当初は私の顔を触り「プリプリやなぁ。何使ってるん?」と聞いてきました。

 

 

 

私は鬱で億劫なので、「ルルルンフェイスマスクして、後にニベアクリームにメラノCCを数滴落として混ぜて塗ってるよ。」と言いました。

 

 

 

母は「私もしてみる。」と言うので購入し渡しましたが、段々としなくなり今は一切何もしてないとのこと。

 

 

 

そういえば、私が高校を卒業する頃、松田聖子さんの赤いスイートピーという曲が流行ってて卒業プレゼントに赤いスイートピーを花束にしてプレゼントしてくれたなと思い出しました。

 

 

 

この頃の母は彼氏もいなかったのかな。???

 

 

 

今の私には母を見守ることと必要であれば届け物を持っていったり区役所へ行ったりと、そんなことだけです。

 

 

 

それも主人がいてくれるお陰でできること。

 

 

 

早く対面面会したいです。

 

 

 

精神科の先生に「私のことを忘れる日が来ますか?」と問うたところ「はい。いつかは来ますが薬で抑えられているので進行は遅いでしょう。すぐにと言うわけではありません。」と言われました。

 

 

 

それから5年が経ちます。

 

 

 

 

レビー小体型認知症

難しい病です。

 

 

 

 

それに加えパーキンソン症状があるので身障者1級です。

自力歩行は不可能。

 

 

 

それでも元気で笑顔でいてほしいと願います。

 

 

 

躁鬱な私の日記でした。

 

 

 

 


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