鬱な私の日日日記

鬱病から躁鬱。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

旅立ち

 

 

 

過去記事

 

 

 

8月28日午前9時20分、母が永眠した。

 

 

 

その日は主人が休みで、朝、普段通りに朝食取り終わって一服してたら主人のスマホがバイブ。

 

 

 

出て、横で漏れ聞こえてきたのは男性の声。

 

 

 

主人が「えっ?息引き取りかけてる?」

 

 

 

すぐに母の事だとわかった。

 

 

 

主治医は急変とは捉えておらず、とにかく念のため来て下さい。と言ったそう。

 

 

 

すぐに着替えて病院へ。

 

 

 

個室部屋へ案内されて、看護師さんからは「もうすでに心臓は止まっています。すぐに先生呼びます。」

 

 

 

で、すぐに先生が来てくださり聴診器で心音停止、脈停止を確認して「8月28日午前9時20分御臨終です。しかし、お母ちゃん(母のこと)よう頑張ったと思うよ。しばらくここでそばにいてあげて。」

 

 

 

看護師さんも「ゆっくり過ごして上げて下さい。」

 

 

 

最後の時を迎えるまで覚悟できなかったけど、現実を前に“受け止めなアカンのやわ”

 

 

 

泣いた。

 

 

 

でも、しなければならないこともあり。

すぐに葬儀社社長している親戚のHお兄ちゃん(祖母の従兄の孫)に電話してお葬式の段取りつけた。

 

 

 

正確にはお葬式じゃなくて直葬にした。

直葬は本当に棺だけになるので、あまりに寂しいので、お花を一対お願いした。

 

 

 

三人の子どもたちにもLINEで連絡。

 

 

 

父もなにかあったら知らせてほしいと言ってたのでメールで連絡。

 

 

 

mashanよくお世話してきたな。お疲れさん。体調は大丈夫か?と。

 

 

 

どれくらいの時間が過ぎたか?

看護師さんに葬儀社の方が迎えにきてくれるので、お願いしますと言うと、では綺麗にさせて頂きますので別室でお待ち下さい。と言われた。

 

 

 

再び母と面会。

安らかな良い顔をして寝ているよう。

 

 

 

葬儀社のスタッフさんが迎えに来てくれて、複数人の看護師さんがお見送りしてくださった。

 

 

主治医の先生も。

「ホントに眠るように逝ったよ。朝ごはんも食べてCT撮って普段通りの朝やってんよ。レビー小体型認知症は罹患したら余命は平均4年と言われてるけど、おかあちゃんは7年。頑張った頑張った。mashanさん、今は気が張ってるから大丈夫やと思うけど体に気をつけておかあちゃん送ってあげてな。」

 

 

 

「先生、看護師さん、スタッフの皆さん、本当によくして頂いてありがとうございました。」

 

 

 

ホールに到着して布団の上に寝かせてもらった。

 

 

 

仕事だった次男が休みを取ってかけつけてくれた。

 

 

 

「おばあの顔見たってな。」

 

 

 

「痩せたなぁ。」

 

 

 

次男と色々話して、彼女のお祖父様も亡くなったと聞いた。

 

 

 

まだ籍が入ってないし、昇任試験(3次)も近いので参列はしないことになった直後の私からの連絡で驚いたと。

 

 

 

お線香絶やさず交代で。

 

 

 

夕方に娘から電話が入り、今から行くと。

娘は双極性障害だ。

 

 

 

電車は大丈夫か?駅からはどうするのか?

頓服飲んで電車には乗れる。最寄り駅からタクシーで行く。

 

 

 

無事到着。

 

 

 

娘もすごく泣いていた。

確執はあったけど、悲しい。と。

 

 

 

それから夫くんに連絡して、夫くんも仕事の引き継ぎして駆けつけてくれた。

 

 

 

翌日、納棺。

次男が来てくれた。

女性スタッフさんが母が好きだった赤の紅をさしてくれた。

元気なときのおばあや。

直葬なので、棺もシンプルなものかと思っていたらとんでもない。

薄いピンクの彫りの入った美しいものだった。

H兄ちゃんのおかげだと思った。

 

 

 

H兄ちゃんから聞いた話し。

「〇〇さん(前夫)が『出勤前の朝早くにすみません。』言うて、お参りしてくれたで。」

 

 

 

えーーーー?

 

 

 

お悔やみと私の体調を心配するメールは来てたけど、まさか。

 

 

 

一応、お礼のメールはした。

その時にまた驚くことに仕事帰りにまたお参りしてくれたみたいで、「家に帰ってきてからお参りさせてもらいました。綺麗にお化粧してもらって穏やかな顔ですね。」と。

 

 

 

お礼は言うけど前夫の本性は母を憎んでいたので心底は喜べないのが私の本心。

 

 

 

母のコロナワクチン接種券届いてるけど処分してもよいかの確認メールも来た。

 

 

 

処分して下さい。と返信。

 

 

 

両日ともホールスタッフさんにお願いして次男とお昼ごはん食べに出た。

 

 

夕方に母の末の妹にH兄ちゃんが連絡して自転車で駆けつけてくれた。

 

 

「姉ちゃん、ありがとう。私一人になってしもたわ。」(母は三人姉妹の長女。真ん中の叔母は早くに亡くなった。)

 

 

 

「明日、斎場へ行きたいけど、足も悪いし泣き崩れてしまいそうやから今日でお別れするわ。ごめんな。」

 

 

 

私は親戚と縁切りしてるので、叔母に知らせるのも躊躇したけど、H兄ちゃんが「〇〇さん(叔母)はずっと『姉ちゃんどうしてるんやろ?わかれへんねん。何かあったら知らせてほしい』と言うてたから知らせた方がえぇと思う。mashanが会いたくなかったら席外してる時に呼ぶわ。」と。

 

 

 

素直に聞いて腹決めた。

 

 

 

「お兄ちゃん、私会うわ。呼んでくれていい。」と言った。

 

 

 

結果的にモヤモヤが晴れた。

 

 

出棺当日、長男を乗せて娘夫婦を迎えに行ってホールへ。

 

 

 

すぐに次男が来て(実家とホールは近所)その後枚方の父が来てくれた。

遠方からありがとう。

 

 

 

出棺までの時間、父、主人、私と3人の子供たちと色々な話をした。

 

 

母の悪口も。(笑)

 

 

 

14時、それぞれにお焼香をして棺の中にお花を入れた。

 

 

 

出棺。

 

 

斎場に到着して母が炉の中へ入るとき涙が溢れてきた。

 

 

 

火葬の待ち時間、控室で食事してまた話しした。

 

 

 

父の介助は長男が主にしてくれて、次男も手を添えてくれた。

 

 

父は「3人ともホンマにええ子やなぁ。仲もいいし嬉しいわ。」と。

 

 

 

娘と次男は、娘が結婚の報告に実家へ挨拶に行ったとき以来だったにも関わらず、年月関係なく普通に会話してた。

やっぱり姉弟

 

 

 

お骨上げの時も全員で順番に行った。

 

 

 

ついにお骨になってしまったな。

 

 

 

私が骨壷を抱いてバスに乗り込む。

 

 

 

父は電車で帰るからと言うのでH兄ちゃんが最寄り駅まで送ってくれた。

 

 

 

ホールに到着して、また会話が弾んだ。

 

 

 

皆にありがとう。と言った。

 

 

 

そして解散。

 

 

 

娘夫婦と長男を乗せて帰ってきた。

 

 

 

家に着いてすぐに父から電話がかかってきた。

 

 

 

「おじいちゃん、遠いところ暑い中おばあの為に来てくれてありがとう。疲れでんようにしてな。」

 

 

 

父は3人の孫が仲のいいこと、娘の夫くんがいい人なこと、嬉しいわと言ってくれた。

 

 

話し足りなかったみたい。

 

 

 

主人には「mashanが何から何までお世話になって、よくしてもらってありがとうございます。」と。

 

 

 

私がいくつになっても父は父なんだな。

 

 

 

父はお骨上げのときを思って、人間て最終的にこうなるやな。もう人間には生まれ変わりたくはない。とも言っていた。

 

 

 

娘夫婦にも電話してお礼を言った。

夫くん個人からお香典を頂き辞退したが受け入れられなかった。

おばあにお花でもお供えしてあげて。と。

 

 

ありがたく頂戴してお返しを考える。

 

 

娘は孫三人で相談して孫からはしないことに決めたけど節目にはさせてもらう方向でと。

 

 

 

母の遺骨と供え花を私の寝ている枕元の上に安置した。

 

 

49日まではここでお祀りして四天王寺さんに永代供養をお願いしようと思っている。

 

 

 

それも主人が電話して問い合わせてくれた。

 

 

 

そして今日は年金事務所へ行き、今月分の年金受け取り申請をしてきた。

 

 

 

明日は実家の土地の名義変更の手続きをしてもらうために法務事務所に行くことになっている。

(H兄ちゃんの紹介)

 

 

 

まだ今はすることがあるので気が張ってる。

 

 

 

主人が母の死後、一週間の休みを取ってくれたから安心して動けている。

 

 

 

カーテンは開けることができているけれど、空の写真を撮る余裕はない。

 

 

 

しばらくは読者さんのブログ巡りはできないかもしれないけど、ボチボチいくことにしようと思う。

 

 

 

今は離れて生活していた母と会話している。

 

 

 

鬱な私の日記でした。

 

 

 

 


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