鬱な私の日日日記

鬱病。三度の結婚。ほんとの幸せって何だろう。前夫との関わり、複雑な関係性の中で生きてます。一人で外出できない鬱病の私の日常をつらつらと綴りたいと思います。

義母と母

過去記事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

義母が旅立って3年、母は2年。

会いたいよ。

 

 

 

娘夫婦が母の為にしてくれたお盆の飾り物。

ガラス細工でナスとキュウリの置物。

今年も出した。

 

 

 

今でも涙が出る。

一度は絶縁して一切連絡も取らず、母からも無かった。

 

 

 

前夫から母の異常を知らせるメールが何通も来ていた。

私は母にもしもの事があっても会いには行かないと決めていた。

それほど確執は深かった。

 

 

 

重い腰を上げて会いに行って、(主人の説得の為)明らかな異常を感じて病院(精神科)に連れていこうと説得するも、母は人を異常者扱いするな!と怒鳴る。

 

 

 

当時デイサービスを利用していて担当のケアマネさんに間に入ってもらって何とか受診にこぎつけた。

 

 

 

その病院は精神科で名のしれた病院だったので、母も警戒したのだろう。

 

 

 

診断名はレビー小体型認知症

パーキンソン症状も出ていて身体の強張りがあり、

薬は相反する効能なので、薬の調整が難しく3ヶ月の入院となった。

 

 

 

1度目の入院は病棟(重度の方ばかり)を見学して、長男が今のおばあをここに入れるのは可哀想過ぎる。家で〇〇(長男)が見るから連れて帰ると見送りになった。

当時は大学留年して通っていた時。

 

 

 

 

前夫は知らん顔。

そこに住みたければ(母と私名義の家)ちゃんと対応するようにと主人が言ってくれた。

離婚協議の中にも母への対応はちゃんとするように明記してあった。

 

 

 

家にいる時は家族分と母の食事は作っていたが、声かけせずに放置。

主人がペットにでも餌やる時は声かけするやろ!と激怒した。

 

 

前夫が仕事でいない時には長男が大学に行く前に作って食べさせてくれた。

 

 

 

そして違う病棟の見学をして入院。

 

 

 

私の気持ちが大きく変わったのが母がレビー小体型認知症とわかってからだ。

 

 

 

薬の効果と母の変化(昔の毒親ぶりは無くなった)で私の気持ちも変わったのだ。

 

 

 

乗馬に行ってた頃、馬友の一人の方が、私と同じような体験されてて、認知症になったらmashanの気持ちも絶対に変わるよ!と言ってくれてたことを思い出す。

 

 

当時は母を憎んでさえいたから、そんなことあるはずないと思っていたけど、おっしゃる通りだった。

 

 

 

あれほどまでに憎んでいた母に愛しささえ感じた。1日でも長く存在していてほしいと願った。

 

 

 

石切神社のお百度参りは効き目があると聞き、三度行った。

主人も一緒に回ってくれた。

 

 

 

コロナに感染して大きな変化があり、食べなくなり薬も舌で押し出すと言う施設には居られなくなり再度の入院となった。

点滴だけで生き延びている母だった。

痩せてしまって発語も難しくなった。

 

 

 

それでも私を見たら、まー。まー。と言った。

mashanのまー。だ。

 

 

 

無表情が多くなった母だったが一瞬マスクを取ってベロベロバーしたら破顔。

嬉しかった。

 

 

 

もうすぐ母の三回忌を迎える。

次男は仕事で休みが取れずだけど、娘と長男は休み取ってくれたので主人と四人で法要に参座する。

 

 

 

義母は主に主人の弟さんが仕切ってくれているので任せてある。

 

 

 

義母と母は同じ墓碑に入っているので(義父は同じ四天王寺さんの違う墓碑)一緒にお参りして手を合わせる。

 

 

 

 

毎日、飾ってある母の笑顔の写真におやすみ。と言って寝るのが習慣。

朝はつらいものの、おばあおはよう。

 

 

 

 

急遽泊まり勤務が入った長男。

木曜日も泊まり勤務。

明けでそのまま介護職。

ショートスリーパーだから体力的には大丈夫らしい。💦

20時にお見送りしてファミマ行った。

〇〇くんいなかった。

 

 

 

今朝は9時半に目覚めた。

朝食薬服用。

 

 

 

今日は主人がお休みなので、夕方に映画ジュラシック・ワールドを観に行く。

楽しみだ。

 

 

 

鬱な私の日記でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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